Essays
KUBS 九州大学ボーダースタディーズセミナー(5/19)参加記
――転換期にある国境離島の現状を知る――
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地田 徹朗(名古屋外国語大学、JCBS会員)
筆者は1年ちょっと前まで北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターで境界研究ユニット(UBRJ)付の助教として勤務してきたが、
現在の職場では境界研究について授業で取り上げることはあっても、そこからはやや離れ、
ロシア語やユーラシア地域研究を学生たちに教える立場にある。
だからこそ、境界研究やその国境自治体との連携について年に数回は濃密に触れる機会をつくろうと、
国境地域研究センター(JCBS)と境界地域研究ネットワークJAPAN(JIBSN)の総会には可能な限り参加したいと思っている。
同時に、勤務校では、開学30周年を記念してグローバル共生社会研究所(NUFS RINGS)の創設が決まり、
私もそのメンバーになった(ちなみに、グローバルCOEプログラム「境界研究の拠点形成」時代の同僚である平山陽洋さんと
ここでまた一緒に仕事をすることにもなった)。同研究所は、外国語大学という特色を活かしつつ、
地方自治体や地域社会と連携して多文化共生をめぐる様々な問題を研究・協働しながら解決するという方向性をもっている。
このような学術と行政との協働・研究による特定課題へのソリューションを探すということのモデルとなっているのが、
筆者にとってはまさにJCBSでありJIBSNでありUBRJなのである。
JCBS総会の後には必ず境界研究に関連するセミナーが毎年組まれている。今年も例外ではない。
イレギュラーだったのは、いつもは名古屋での総会実施が恒例なのに対し、今年は福岡で行われたという点だけだ。
特に、今回のセミナーでの基調講演はアクティブラーニングの舞台として国境離島に大学生を送り込むというプログラムを
実施している長崎県立大学の試みについて聴けるということで、とにかく楽しみだった。
私自身、大学1年生向けのアクティブラーニング授業(「アカデミックスキルズ」ということで、
長崎県大の試みとは質を異にするが)を担当していることもあり、興味津々だった。
セミナーは、JCBS理事長であり九州大学名誉教授、テレビを通じて福岡では知らぬ人はいないという薮野祐三先生の
ご挨拶により始まった。軽妙な語り口からの簡潔な挨拶が印象に残っている。
前述の基調講演は、私本人昨年11月の対馬市でのJIBSN総会で知り合った石田聖さんによるものだった。
「しまなびプログラム」という名のアクティブラーニング・プログラムについての講演である。
五島、新上五島、宇久、小値賀、的山大島、壱岐、対馬を長崎県立大の外部キャンパスとして位置づけ、
学生主体での事前学習とフィールドワークを通じて、島の経済・社会について課題の発見やその解決のための取り組みまで
考えさせ、可能であればそれを実践するという内容のものだった。
ここに毎年500~600人の学生が参加しているというのだからすごい。
文部科学省の「地(知)の拠点整備事業」に採択され、プログラムの整備・実施のために多くのお金を動かすことができた
ということも大きいのだろうが(そのお金の多くは、スマホに対応したE-learningシステムの構築に割かれたというが)、
4年程度の短い期間で長崎県大の大きな「ウリ」となるプログラムに仕上げたことに対して敬意を表したい。
何しろ、毎年、これだけの人数の学生が離島に赴くわけで、そこには大学と離島自治体・社会との信頼関係が不可欠である。
また。多くの数の教員を動員しないとこのようなプログラムは動かない。参加した学生自体は8割以上が満足しているという。
プログラムの成功は、そのコーディネート役を自ら買って出たという教員の手腕と交渉力・説得力のお陰ということもできる。
現在では、文科省のプログラムが終了し、コーディネーター教員の任期満了も迫っているという。
持続可能なプログラムにもうワンステップ・アップさせることが今後の課題のようだ。
「しまなびプログラム」で実際に学生たちが取り組むことは、離島での「観光」「起業」「人口移住・定住」
といった大項目を選択して、そこから自分たちで具体的なテーマやフィールドワークの内容を決めていくというものだった。
長崎県立大学のHPをみると、離島でのツアー作りやSNSを活用したPRなど「観光」に関連するコンテンツが目立つ。
学習の成果の地域への還元を目指しているというが、どうしても一過性のものになりやすく、学習内容の重複・類似も目立つ。
似たような内容の研究成果をどのように集約して、継続的にブラッシュアップし、実際の離島振興に役立ててゆくのかが課題だと感じた。
卒業研究や大学院での研究に「しまなび」での取り組みを活かすという事例が今後さらに出てきたり、
離島に実際に就職したいという学生が出てきたりするようになれば、プログラムの意義がさらに高まるだろう。
留学生をさらに取り込むことで離島での多文化共生の実践や、また、「国境離島」という観点のプログラムへの取り組みなど、
今後のプログラムの発展について様々な可能性を感じた。
セミナーの後半は、「国境を越える観光創造:対馬・沖縄の実践」と題するパネルディスカッションだった。
ローカルジャーナリストで根っからの「鉄子」である田中輝美さんの司会の下、対馬の比田勝亨さん、沖縄の屋良朝博さん、
そして、基調講演を行った石田聖さんがパネリストとして登壇した。
比田勝さんは、対馬・釜山の高速船就航に当初から関わった方であり、現在は上対馬と厳原で韓国のオンドル式暖房を取り入れた
ペンションを経営している。屋良さんは、かつては『沖縄タイムス』紙で社会部長として、現在はフリーランスのライターとして
沖縄での米軍海兵隊基地不要論を唱える舌鋒鋭い論客である。また、石垣島で宿泊施設も運営しているらしい。
パネルディスカッションは、田中さんがパネリストに質問をし、パネリストが回答、その内容を田中さんがさらに
深掘りするという展開だった。
比田勝さんは、自らのライフストーリーを交えながら対馬でのボーダーツーリズムの課題と展望について語った。
対馬観光の主役は何よりも韓国人であり、彼らをどう受け入れるのかという点で、日本側としてやるべきことが追いついて
いない実情を語ってくれた。何よりも、「(日本)人がいない」ことが問題だとの指摘は重い。韓国人観光客が増えることで、
宿泊施設不足が生じているが、それを補っているのは日本人が主導してのホテル建設ではなく、韓国資本による民宿的なものであり、
誰がどこの土地を買っているのかなど行政側の把握も追いついていない。
日本の資本で東横インが厳原に建ち、比田勝でも建設計画があるが、日本人の数が少なすぎて客室清掃の人員が確保できず
フル稼働できていないのが実情だとのことである。「しまなび」などで学生が島に関心をもってくれるのはよいが、彼らは帰ってしまう。
国境離島に「(日本)人を集める」ためのよい方策はないのだろうか、という聴衆への問いかけは至極当然なものである。
しかし、これは地方の「過疎化」という日本が抱える大問題と共通している。
国境地域であることと過疎地域であること、解決が容易でない問題を二つ抱えてしまっていることが対馬の難しさである
ということを改めて実感した。
屋良さんからは、前述したとおり、沖縄米軍基地不要論者である。それを踏まえた上で、
「基地よりも観光のほうが儲かる」という指摘は非常に興味深いものだった。昨年の沖縄への観光客数は975万人だったそうだが、
中でも外国人観光客者数が大きく伸びているという。それも韓国・台湾が中心で、中国本土からはこれからという状況らしい。
観光の伸びが不動産価格の高騰にも繋がっている。その一方で、基地と観光との関連では、治外法権である米軍基地のすぐ外、
つまり、ボーダー上で実際にツアーが行われているという事例紹介も面白かった。嘉手納基地のすぐ隣には道の駅があり、
基地を一望できる展望台が設置されており、そこに中国人観光客が大挙してやって来るのだという。
中国では軍事施設の写真撮影は御法度で、カメラを構えるだけで確実に拘束されるが、嘉手納ではそれが自由にできる。
このように、米軍基地に依存しているという従来の「沖縄観」は今や改める必要があるという指摘は重いものだった。
石田さんからの応答やフロアからの質疑を含めディスカッションは盛り上がりを見せた。参加人数は決して多くなかったが、
中身は非常に濃かった。セミナー後、懇親会までの間、石田さんを捕まえてアクティブラーニングのあり方など
いろいろ根掘り葉掘り聞くことができたことは自分にとって大きな収穫だった。
全体として、国境離島がある種の「転換点」にある様子を感じた。
長崎県では学生が大挙してフィールド学習に国境離島を訪れ、対馬に東横インが建ち、
JR九州高速船ビートルには比田勝港経由便の国内・国際混乗が認可され、沖縄には基地含め外国人観光客が押し寄せる。
通底していたのは「ツーリズム」だった。
最後に、何人かから「名古屋から福岡までわざわざ」と言われたのだが、
そんなことはまったく感じない充実したセミナーを楽しむことができた。
何しろ、その翌週は学会で石巻に行き、この原稿は今札幌で書いている。
実際に足を運ぶこと、これは地域研究・境界研究に取り組む者にとって必要な資質なのだろう。
これからもJBCS/JIBSN/UBRJの行事にはなるべく足を運んで、いろいろ学ばせていただきたいと考えている。
組織役の岩下明裕先生、テッド・ボイルさん、合田由美子さんに感謝いたします。
[2018.6.9]